5月の体調不良、母宛の封書から、続いている話について
今、私は考える時なんだと思い、ひとつひとつ整理しながら考える日々です。
今までもたくさん考えてはいたのですが、5月以降その質が変わってきました。
そして、先週は膿を出すがごとく、自分の中でいろんなことを感じ、展開され、
たくさん泣きました。泣いて泣いて、とにかく涙が出てしょうがなかったです。
それでもこの時を受けとめて、泣いてでも考えていかなかればいけない時なのだと思います。
自分は母を亡くしたと同時に父と向き合う日々でした。
ブログでは母のことを書いていますが、平行して父と向き合い葛藤の日々でした。
母が生前の時によく言っていた「許すこと」。ブログでも何度か書いてきています。
「許し」という言葉がずっと頭にありました。自分に言い聞かせつつ、
それでもなかなか、憎悪が拭いきれていませんでした。
30年間背負ってきたもの、なかなか過去をすっぱりと洗い流すことができませんでした。
先日の記事で母がすごく近い存在に感じると書きました。
その後、果てしなく遠くに感じた瞬間があったんです。でもいつもと違う感覚でした。
父は8月の誕生日で定年になります。(継続して働くのではありますが)
私は父にここまで養ってくれたことに感謝しなければいけません。
私は父をたくさん責め、反発してきました。このことも謝らなければいけません。
なんとなく定年を迎える父の姿は淋しそうでもあり、
私とコミュニケーションをとろうと頑張っているように思えます。
私が体調を崩して以来、父も変わってきたような気がします。(多分)
父は意図的に悪いことをしているわけではない。
ただ、不器用で空回りばかりしてしまうだけ。
今まで、ほとんどコミュニケーションがなかった父と娘。
接触すると衝突ばかりで、「父と母」の姿がそのまま「父と娘」へと移行した状態だった。
それでも今、父の事を振り返ってみると・・
母が亡くなってから、初めて父と二人で外食に行った際に
「最近はお母さんが一緒に買い物や食事にも付き合ってくれるようになって嬉しかった」
「○○○(←私)とこうやって食事ができて嬉しい」
と言っていたことがある。
三宅さんと撮った写真を父の携帯に送ったら、嬉しそうに眺めていたり。
やっぱり、娘のことは可愛い存在なんだろうなと思う。
父への憎悪が拭いきれていない間はとにかく苦しかった。
でも、これを生み出しているのは自分。わかってはいつつもなかなかコントロール
できませんでした。コントロールできずに終いには体にきてしまいました。
自分で自分の体を痛めつけている。このままでは自分の体は保たない。
どうにかして自分の体を守らなければという意識が働きました。
そして、母は私が抱えている苦悩を解決する方向に導かせるため、
私に考えさせるために、私を楽にさせるために近くまで来てくれたような気がします。
自分を楽にさせるための選択、「許す」こと。
本当に自分が「許す」ことを受け入れたときに
母が遠くに行ってしまった感覚になりました。
今まで、私が苦しんでいるときに母は夢に出てきて、夢の中で家事を手伝ってくれたり、
大地震が起きたときに私に覆い被さって守ってくれたり・・
姿は無くても、私のことを心配してくれているんだなと感じます。
いつも心の中で母の存在はありつつも、心配ばかりかけさせないよう、
近くに来させないようにするのが母の為なのかもしれません。
私は今まで母のためにと母のことばかり考えていました。
でもこれからは父のことも思いやれるようにしていきたいです。
何かあってからでは遅い。悔いを残さぬよう生きていきたいです。
そして、この気持ちが持続できるよう、努力していきたいです。
私が書いている内容はなかなか理解しずらい感覚かもしれないけれども
それでも、私が感じているそのままを書きました。
Coccoの「手の鳴るほうへ」を聴くといろんな想いが重なり胸が熱くなってしまいます。
前にも歌詞載せましたが・・ 触れることも拒むことも無くなってからでは遅いのです。
ブログでは母のことを書いていますが、平行して父と向き合い葛藤の日々でした。
母が生前の時によく言っていた「許すこと」。ブログでも何度か書いてきています。
「許し」という言葉がずっと頭にありました。自分に言い聞かせつつ、
それでもなかなか、憎悪が拭いきれていませんでした。
30年間背負ってきたもの、なかなか過去をすっぱりと洗い流すことができませんでした。
先日の記事で母がすごく近い存在に感じると書きました。
その後、果てしなく遠くに感じた瞬間があったんです。でもいつもと違う感覚でした。
父は8月の誕生日で定年になります。(継続して働くのではありますが)
私は父にここまで養ってくれたことに感謝しなければいけません。
私は父をたくさん責め、反発してきました。このことも謝らなければいけません。
なんとなく定年を迎える父の姿は淋しそうでもあり、
私とコミュニケーションをとろうと頑張っているように思えます。
私が体調を崩して以来、父も変わってきたような気がします。(多分)
父は意図的に悪いことをしているわけではない。
ただ、不器用で空回りばかりしてしまうだけ。
今まで、ほとんどコミュニケーションがなかった父と娘。
接触すると衝突ばかりで、「父と母」の姿がそのまま「父と娘」へと移行した状態だった。
それでも今、父の事を振り返ってみると・・
母が亡くなってから、初めて父と二人で外食に行った際に
「最近はお母さんが一緒に買い物や食事にも付き合ってくれるようになって嬉しかった」
「○○○(←私)とこうやって食事ができて嬉しい」
と言っていたことがある。
三宅さんと撮った写真を父の携帯に送ったら、嬉しそうに眺めていたり。
やっぱり、娘のことは可愛い存在なんだろうなと思う。
父への憎悪が拭いきれていない間はとにかく苦しかった。
でも、これを生み出しているのは自分。わかってはいつつもなかなかコントロール
できませんでした。コントロールできずに終いには体にきてしまいました。
自分で自分の体を痛めつけている。このままでは自分の体は保たない。
どうにかして自分の体を守らなければという意識が働きました。
そして、母は私が抱えている苦悩を解決する方向に導かせるため、
私に考えさせるために、私を楽にさせるために近くまで来てくれたような気がします。
自分を楽にさせるための選択、「許す」こと。
本当に自分が「許す」ことを受け入れたときに
母が遠くに行ってしまった感覚になりました。
今まで、私が苦しんでいるときに母は夢に出てきて、夢の中で家事を手伝ってくれたり、
大地震が起きたときに私に覆い被さって守ってくれたり・・
姿は無くても、私のことを心配してくれているんだなと感じます。
いつも心の中で母の存在はありつつも、心配ばかりかけさせないよう、
近くに来させないようにするのが母の為なのかもしれません。
私は今まで母のためにと母のことばかり考えていました。
でもこれからは父のことも思いやれるようにしていきたいです。
何かあってからでは遅い。悔いを残さぬよう生きていきたいです。
そして、この気持ちが持続できるよう、努力していきたいです。
私が書いている内容はなかなか理解しずらい感覚かもしれないけれども
それでも、私が感じているそのままを書きました。
Coccoの「手の鳴るほうへ」を聴くといろんな想いが重なり胸が熱くなってしまいます。
前にも歌詞載せましたが・・ 触れることも拒むことも無くなってからでは遅いのです。
「手の鳴るほうへ」
愛は あなたのため
鳥は ひとつ歌う
ゆるり ほどいたなら
今夜 時は満ちてく
よいし よいし 泣くなよ
手の鳴るほうへ
あなたに会える
夢を見た
あなたに届く
気がした
独り挑む 海原に
光射す日が
来なくとも
遠く 遠く
ぼくらは行くよ
近く 近く
呼び合いながら
空は灰に青く
過ぎた嵐のあと
触れることは無くて
拒むことも無くて
よいし よいし 泣くなよ
手の鳴るほうへ
春の憂鬱に
悦びを
夏のにおいに
刹那色
木枯らしに舞う 冬の声
季節はずれに咲いた花
鳥は いつか
旅路の果てに
愛しい手の
手の鳴るほうへ

愛は あなたのため
鳥は ひとつ歌う
ゆるり ほどいたなら
今夜 時は満ちてく
よいし よいし 泣くなよ
手の鳴るほうへ
あなたに会える
夢を見た
あなたに届く
気がした
独り挑む 海原に
光射す日が
来なくとも
遠く 遠く
ぼくらは行くよ
近く 近く
呼び合いながら
空は灰に青く
過ぎた嵐のあと
触れることは無くて
拒むことも無くて
よいし よいし 泣くなよ
手の鳴るほうへ
春の憂鬱に
悦びを
夏のにおいに
刹那色
木枯らしに舞う 冬の声
季節はずれに咲いた花
鳥は いつか
旅路の果てに
愛しい手の
手の鳴るほうへ

| 00:00:32 |
[精神] Posted by つっつ |





